稽古

私は「稽古」と「練習」という言葉を意識して使い分けています。
精神的に張り詰めた状態で行うものを稽古、気軽な気持ちで取り組むものを練習としています。
服装は、前者は道着で、後者はジャージとなることが多いです。

練習は、科学的であり合理的なものを目指します。
稽古は、古くから伝わる、一見、非合理的なことにも取り組みます。

なぜこんなことを書いたかと言うと、ラジオである落語家さんが、落語家の稽古についてお話しているのを聞き、興味深く思ったからです。
「三遍稽古(さんべんげいこ)」といって、師匠が弟子ひとりの前に座って、20分ほどの噺(はなし)を連続で三回行うそうです。
弟子はそれをじっと聞く。
メモ、録音、録画、全て禁止。
師匠の一言一句、表情、身振り手振り、そして呼吸のタイミングまでしっかり暗記・記憶するそう。
師匠の噺が終わると、
「お前、やってみ」となるそうです。
途中、言葉が飛んだり、間が悪いと止められ、厳しい指導を受けるそうです。
もっとも、これは昔ながらの稽古の仕方で、最近はこのスタイルで稽古をつける師匠は少なくなってきているとのこと。
ひとりづつしか稽古をつけられないし、稽古に時間がとてもかかってしまう。
弟子が一人前になるのにも年月がかかるからだそう。
噺家の世界にも、合理化の波がきているそうです。

空手の世界で言うと、師範が型(技)を見せて、弟子はそれを見て覚えるというシステムですね。
メモ、写真、録画禁止。
ポイントやコツを教えることもせず、見て覚えよ、と。
稽古に取り組む弟子に、厳しいダメ出し…
非合理的に思いますが、もっとも上達するシステムではないでしょうか。

この最近、家庭用ビデオカメラの普及で、稽古をビデオに撮らせてほしいとおっしゃる方が多くなりました。
家で覚えることが出来るようにと、子供のためを思ってのことなのでしょうが、観察する、暗記する、記憶する、そして心を感じ取るという感覚が育たなくなってしまうと思います。
合理的に思うことが、実はそうではないことって多々あると思います。

私は「稽古」とは、ただ単に動作を学ぶことではなく、心を鍛えるものだと考えています。