アタマとハラ

今日、めちゃくちゃハラが立ちました。
こんなにハラが立ったのはいつ以来?いや、過去最高か?
というレベルのものでした。
詳細は色々問題があるので書けませんが。
(本当はその相手の名前も、詳細も書きたい気分ですが)
Aという事実から、Bということを想像する。
そのBからCを想像。
そしてCからDやEを想像する。
そのDやEについて、私に文句を言いに来られても、話が飛躍しすぎていて私にはさっぱり意味が分かりません。
おまけに人格批判や人生批判までし始めました。
Aという事実しかないのに。
そのAも、私に一方的に非があるものではないのに…
世の中、ワケの分からない人がいて困ります。

そういえば、「怒る」ことを「ハラが立つ」とは別に、「アタマに来る」とも言いますね。
どういう意味の違いがあるのでしょうか。
私の自論ですが、アタマで考えたものを、一旦ハラに落とすことで人は自己処理しているのではないでしょうか。
今日の私も、大暴れしてやりたい心境でしたが、怒りをハラに落として耐え忍びました。
アタマに来て、ハラに落とすことが出来ない人が、いわゆる「キレる」人なんでしょうね。
最近は、アタマで考えたものをハラへ落とすことなく吐き出す人間が増えているのだと思います。
そして物騒な世の中になってきてしまっているのだと思います。

度胸のある人を「ハラの据わった人」言います。
人の本心も「腹中では…」と言います。
空手や武道では、「丹田」(臍の下)を中心に動きます。
力の源は丹田である、と。
帯をベルトラインではなく、もっと下の、臍の下で締める理由は、丹田を締めるためです。
帯を締める空手は、ハラを鍛錬するのに最適だと思います。

うちに通って来ている子供たちには、ハラで物を考えることが出来る人間になってもらいたいです。
今日、私に文句を言ってきた、想像ばかりでドンドン怒りを膨らませる、「アタマ思考の典型」みたいな人間になってはダメです。