「常識」とは?

ある人にとっては当たり前のことであっても、またある人にとっては理解できないこともあります。
当道場においては、子供の空手は人間教育の意味の方が大きいと思っているので、空手の技よりも私の考える「社会常識」を教えることに力を入れています。

挨拶は明るく元気よく。
話は最後まで相手の顔を見て聞く。
返事などの意思表示は大きな声ではっきりと。
自分のわがままで他人に迷惑をかけない。
自分がされて嫌なことは他人にしない。
ゴミのポイ捨てはしない。
靴は揃えて靴箱に。
などなど。

反対に、大人のクラスの道場生や保護者の方には、「我以外皆師也」の精神で対応させてもらっているので、私の価値観を一方的に押し付けたり、頭ごなしに叱りつけたりはしないようにしています。

道場内でサングラスを外さない、また、帽子を脱がない人。
稽古中に道場内で携帯電話でおしゃべりする人。
子供たちが黙想中でもおしゃべりを止めない保護者の人。
ガムを噛みながら道場に入ってくる人。
缶コーヒー片手に見学する人。
その人は靴箱の上に空き缶を置いて帰っていました。

私の常識では、上記のような行為はありえません。
しかし、実際にこのような人が存在するのです。
子供ではなく大人です。
その大人は、子供を連れて来ていたりします。
上記の行為は、社会常識的にはどうなのでしょうか?
私の頭が固すぎでしょうか?

当道場では、道場生だけでなく、保護者の方にも入退出時には挨拶をするようにお願いしています。
空手家ではないので、「押忍」ではなく「こんにちは」や「さようなら」と言っていただくようにしています。
中には、
「なぜ親まで挨拶をしなくてはいけないのか?」
という方がいらっしゃいます。
以下の状況の場合、どうでしょうか。

家族で日曜日にゆめタウンに買い物に行ったとします。
そこでお父さんが勤務する会社の社長ご一家に出会いました。
お父さんは当然社長に挨拶するでしょう。
そして、社長の奥様や子供にも挨拶するはずです。
そしてさらに、自分の嫁さんや子供にも、社長やその家族に挨拶するように言うと思います。
自分に関係がなくても、自分の家族に関係がある人には挨拶をする。
それが一般的な常識だと思いますし、私もそう思います。

組織内で肩書きがある人を指す際、
「○○さん」とは言わずに、
「○○社長」と呼ぶのも私の中では常識ですが、みなさんはいかがでしょうか?
肩書きがある人に対して、「~さん」は丁寧語ではあるけども、敬語ではないと私は思います。

お金を払っているからお客様だ。
お客様は偉いんだ。
と考える方もいます。
その考え、高校入試や大学入試の面接の際に試験官に向かって言えますか?
「学費払ってやってるから生徒のほうが偉いんだ。入学してやるよ。」
そんなことを言う人がいたら、どんなにペーパーテストの成績が良くても合格はできないはずです。
教える側と教わる側の礼儀・節度というものがあります。
どちらが上というものではないと思います。
私の考える常識と一致する方は、何も言わなくても分かると思うのですが。
道場が大きくなるにつれ、色々な価値観や常識を持った方が集まってきました。

これを読んで、「あっ」と思われた方はいらっしゃいますか?