勇気

審査の話です。

空手の審査は、他の試験の類とはちょっと違います。
緑帯を取得する審査は、一般的な「試験」だと、緑帯の実力がある人が受けることができ、そして緑帯を取得することができる、です。
しかし空手の昇級審査の場合は、現在締めている帯の「卒業試験」のようなもの、となります。
よって、緑帯の受審というよりも、黄帯の卒業試験という感じになります。
晴れて緑帯を取得できたなら、その時点から緑帯という帯に恥じない実力をつけていく稽古が始まる訳です。

帯の色というものは不思議なもので、帯が上がると実力も向上します。
逆に、いつまでも同じ帯のままでいると、実力の伸びも意識も停滞してしまいます。

停滞は後退と同じです。

右上がりで成長していくことが理想です。
入門し白帯を締めた時、誰もが右上がりでドンドン上達していきます。
そして順調にオレンジ帯取得。
残念ながら、ここで停滞してしまう子が多くいて…
「一応色帯だからまぁいいか。」となるみたいです。
「帯の色と実力は関係ないと思います。なので、最強のオレンジ帯を目指します。」などとバカなことを言った人もいました★

白帯、オレンジ帯、青帯の時代が長かった人で強くなった人はほとんどいません。
その帯の時代が長かった人は、意識も停滞し、実力も停滞します。
ゆるやかな上り坂に向かって自転車をこいでいくのと同じ感じです。
進みだして勢いがつくと、そのままずっと前に向かって進むことができます。
しかし、一度完全に勢いが止まって停車してしまったら、再びこぎ出すのにはとても大きな力が必要です。

かといって、実力もないのに帯だけ上げようとすると無理がきます。

「完璧にできるようになったら受けます。」
「強くなったら受けます。」

こんなことを言う人がいますが、そういう意識の人はいつまで経っても完璧にできる日は来ません。
そして、下の帯を締めて、緩い緊張感の中で稽古しているから強くもなりません。
一番大切な、「心」が全く強くならないんです。

試合出場に関して、私がいつもみなさんに言うことがありますね。
「試合は強い人が出るんじゃない。出てる人が強くなるんです。」と。
また、「強くなったら出よう。」なんて思ってる人は、いつまでも強くなれないし、試合にも出られません。

師から允可された段位・級位に恥じないよう、常に精進していく。
指導者になってもそれは変わらず、私も稽古毎に帯の金筋の数に見合った意識を持ち続けているかを再確認しています。

今回、上級受審を許可した人の多くが、

「まだ早いです。」という返答でした。

私から見て、あの掲示プリントに名前がある人の中に、上級受審が「まだ早い」人はひとりもいません。

連続組手が怖くて逃げているのではありませんか?
きつい稽古から逃げるための言い訳ではありませんか?
容易にできることにだけしか挑まないのではありませんか?
乳離れできない赤ん坊と同じではありませんか?

昇級審査は、心技体の全てを評価します。
その中でも、最も重視しているのは「心」です。

「腕立て伏せ○回ができないので。」
「型が不安なので。」

回数ができているか?、型の順番をきちんと覚えているか?
その場だけを見ているのではありません。

規定の回数をクリアするために、規定の科目ができるようどのくらい準備をしてきたのか?
そしてまた、十分な準備をして、当日はどれだけ頑張れているのか?

上級はそのような審査です。

白から青帯までは、回数や科目の出来は大した問題ではなく、一番は「心」の強さです。
少し前の自分よりも強くなった「心」を見せて下さい。
そういう訳ですので、しっかりと大きな声で返事ができ、自信をもった技を大きな気合とともに繰り出せていたらO.K.です。

今回、初の昇段審査も併せて行います。
昇級審査は、受かる見込みのある人に受けさせる、いわば「受からせる試験」なのに対し、
昇段審査は規定の科目ができているかどうか?黒帯を締める人間性を持っているか?そして組手での圧倒的な実力を持っているか?を厳しく審査する、「落とす試験」です。
これをクリアして、「初めて一人前の空手家」となるワケです。
なので、一段といわず、初段と言います。

黒帯から変わるものがあります。
黒帯には金の筋が刺繍されます。
金の筋は、「筋金入りの人間」の証です。

茶帯の道場生も随分と増えてきました。
茶帯まで来れた人の全員に、筋金入りの人間の証を手にしてほしいと思っています。

まず最初の目標は茶帯に。
そして茶帯を取得できたら黒帯を。

空手の道に近道はありません。
下の方の帯で停滞していてもいけません。
勇気を出して前に進みましょう!